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津地方裁判所 昭和48年(行ウ)7号 判決

原告 鯖戸培実

被告 四日市労働基準監督署長 ほか一名

代理人 澤田成雄 木村三春 島井不二雄 ほか四名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告四日市労働基準監督署長が、原告に対し、昭和四六年七月二九日付でなした労働者災害補償保険法の規定に基づく療養補償給付を支給しない旨の処分はこれを取消す。

2  被告労働保険審査会が、原告に対して昭和四八年九月二〇日付でなした再審査請求を棄却する旨の裁決はこれを取消す。

3  訴訟費用は原告の負担とする。

二  被告ら

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、伊藤製油株式会社(以下「伊藤製油」という)に作業員として勤務し、製油原料前処理作業(以下「前処理作業」という)に従事していたところ、昭和四四年六月頃から腰部に痛みを感じ、同月一六日国立津病院で受診し「左坐骨神経痛」と診断された。その後、日比医院、再び国立津病院、次いで築港病院と転医し、同四五年二月二三日三度国立津病院で受診して、「変形性脊椎症、多発性関節ロイマチス、慢性胃炎」の診断名のもとに同年七月二九日まで加療した。

2  そこで、原告は被告四日市労働基準監督署長(以下「被告監督署長」という)に対し、前記疾病は業務上の事由によるものであるとして労働者災害補償保険法の規定に基づく療養補償費の支給請求をしたところ、昭和四六年七月二九日付で、原告の腰痛が発現したとする変形性脊椎症と業務との因果関係が明確であるとは断じ難いものであるから、原告の請求にかかる補償を支給しない旨の決定(以下「本件処分」という)がなされたので、三重労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたところ、同四七年一月一四日付で前同様の理由により右請求が棄却された。そこで、さらに被告労働保険審査会(以下「被告審査会」という)に対し再審査請求をなしたところ、被告審査会は同四八年九月二〇日付で再審査請求を棄却するとの裁決(以下「本件裁決」という)をなし、右裁決書は同年一〇月二二日原告に送達された。

3  しかし、原告の腰痛は次のとおり業務上の疾病であるから本件処分は違法である。

(一) 本件処分は原告の基礎疾病を変形性脊椎症と認定したうえで、変形性脊椎症は加令的変化であり、業務との因果関係は明確でないとして原告の支払請求を棄却したが、変形性脊椎症は単にレントゲン診断上の問題であり腰痛の原因となる病名ではなく、また、原告の脊椎の変形は加令的変化よりやや変形がある程度の変形であつて原告の腰痛と変形性脊椎症とは関係がないものと考えるのが相当である。従つて、本件処分が原告の腰痛の原因を変形性脊椎症と認定したうえで原告の腰痛と業務との関係が明らかでないと判断したのはすでにその前提において誤つているといわざるをえない。

(二) ところで、近年労働密度の高度化、単純作業のくり返し、夜間労働、労務管理の強化により、神経疲労、脳疲労を含めて、全身の疲労が増大し、手や肩がしびれたり痛んだり、胃腸障害、精神神経的な病状も含めながら、腰の痛みが出る、過労を原因とする腰痛が多発しており原告の場合も以下に述べるレントゲン所見、血液検査、その他他覚的所見過去の多くの診断名によつて推定される症状、腰痛の発症、治ゆの状況、仕事の内容、職場における腰痛の多発状況を総合的に判断すると、原告の腰痛は、過労を原因とする過労性腰痛(一般的には腰痛症、腰部筋々膜炎、腰部筋々膜症とか呼ばれる場合が多い)と考えるのが正しい。なお、過労性腰痛の病理学的な解明は充分ではないが、中枢部の影響によつて自律神経を介して、循環系統血液の循環に影響をもたらして血のめぐりが悪くなることからこりやすくなり、これが強くなると考えられる。

(三) 原告の職歴

原告は、昭和一五年から同三二年一月まで中部電力株式会社に勤め、計器盤の監視などの机上勤務をし、同年一月から同三六年三月までは配線、電気器具の取付作業などに従事し、同年四月に伊藤製油に入社し、同年九月から前処理班に配属された。その後、同四一年九月二〇日に汽缶班勤務となり、同四三年八月に再び前処理班に配属され、同四五年三月に工務班に配転、同四六年二月、さらにロート油班に配転され、同年八月に解雇された。その後は原告の妻の経営する飲食業の手伝いをしている。

(四) 前処理作業

前記前処理班での作業は、ヒマシ種子の入つた六五キログラムないし一〇〇キログラムの袋をコンベアーの所まで手かぎを使つて転がしたり引つ張つたりして運んできて、コンベアーの所でナイフで口をあけ、コンベアーにヒマシ種子を入れる作業であり、袋を転がしたり、引つ張つたりする時は常に中腰姿勢のままで行い、ナイフで袋の口を切り、コンベアーにヒマシ種子を入れる際は、腰を左後方あるいは右後方へねじりながら、袋の後部を持ち上げる必要があり、前処理作業は不自然な姿勢のまま、六五キログラムないし一〇〇キログラムの重量物を運ぶ作業であり腰を中心とした全身に多大な負荷を与えることは明らかである。そして、昭和四五年七月一〇日付「重量物取扱い作業における腰痛の予防について」と題する労働省労働基準局長の都道府県労働基準局長に対する通達によると、「満一八才以上の男子労働者が、人力のみにより取り扱う重量は、五五キログラム以下になるように努めること。五五キログラムを超える重量物を取り扱う場合には、二人以上で行うように努めること」とされており、本件原告の職場は、重量物取扱いという点だけでも右通達に違反している。

しかも、右作業は地上約四メートル位に不安定に積まれた袋の上で、袋を転がしたり引つ張つたりする作業であり、その上から落ちないかとか、転がした袋にぶつからないかとか、手かぎやナイフがすべつて手足を傷つけないか等の多くの心配をしながらの作業であり、精神的疲労、脳疲労をひき起すことは充分考えられる。

(五) 原告の腰痛の経過

原告は、前処理の仕事をする前は腹痛を感ずることはなく、前処理の仕事に従事した最初の半月位は、仕事に慣れないため、腰に痛みを感じ、その後慣れるに従つて比較的痛みは少なくなつた。しかし、一年半後から仕事を終つても痛みが残るようになり、朝起きる時にも痛みを感じ、昭和三八年末頃から同三九年初め頃には、仕事中に強く腰の痛みを感じ、早退したり、翌日休んだりした。当時原告は、腰に重苦しい痛みを感じ、また、筋を引つぱつたような痛みを感じていたが、その痛み方は、昭和四一年九月に汽缶班勤務になつてやや軽快したものの痛みは残り、同四三年八月頃再び前処理の仕事に戻るとその痛みは悪化し、欠勤して体を休めた。そして、同四四年六月には休んでも痛みがとれないため国立津病院において受診し、それ以後、原告の疾病に対する診断は次のとおりである。

昭和四四年六月一六日(国立津病院)左座骨神経痛一四日間通院加療

同月三〇日(右同)右同

同年一一月一〇日(日比医院)急性咽頭気管支炎、腰筋痛一週間の休業加療を要す。

同四五年二月一〇日(国立津病院)左腕神経痛一四日間の通院加療を要す。

同年二月一七日(築港病院)変形性脊椎症、同月二三日(国立津病院)変形性脊椎症、満性胃炎、多発性関節ロイマチス三〇日間通院加療及び休業が必要

同年三月二五日(右同)右同

同年四月二四日(右同)変形性脊椎症、多発性関節ロイマチス右同

同年五月二五日(右同)右同

同年六月二五日(右同)右同

同年七月二九日(右同)出勤可能、軽勤務適当

同年一二月一日(三重県立大学医学部付属病院)変形性脊椎症、腰部椎間板症、腰筋痛

以上のとおり原告の引つぱるような腰の痛みについての愁訴はかわらないのに、診断名は次々と変り、その間原告は約一年半の間休業をとり、病状はやや軽くなつたものの痛みはとれなかつた。昭和四五年三月に工務班へ復帰後も腰痛はなおらず、解雇された同四六年八月まで数回欠勤等により休養を取らざるをえなかつた。そして解雇後、何らの治療をしなかつたが二、三年後に腰痛は完全に治ゆした。

(六) 原告の腰痛の病名

前述のとおり原告の腰痛に対し、種々の病名がつけられたが、これらの病名は結局原告の腰痛の原因をはつきりさせた上での診断名とは言えず、現われた症状及びレントゲン検査のみにより診断されたものと考えられる。

例えば、左座骨神経痛、左腕神経痛、胃炎、多発性関節ロイマチス単に症状を表わした病名にすぎず、変形性脊椎症はレントゲン所見上の診断名にすぎない。さらに多発性関節ロイマチスであれば、難病の一つであり不治であるはずであるが、原告は前処理作業をやめた後二、三年で症状が消失しているのであり、変形性脊椎症についても骨の変形をなおさないかぎり腰痛はなおらないはずなのに、原告の腰痛は完治しているのであり、右二つの病名は原告の腰痛の原因ではなかつたはずである。また、腰部椎間板症についても椎間板の変性があつても痛みがない例も多く、腰部椎間板症が原告の腰痛の原因であるとは必ずしもいえない。

そうすると、原告の腰痛は、レントゲン所見、血液検査、その他他覚的所見、過去の多くの診断名によつて推定される症状、治ゆの状況、仕事の内容等を総合的に判断すると過労を原因とする腰痛と考えるのが相当である。

(七) 原告の腰痛の業務起因性

慢性的疾患の業務起因性の判断基準は、第一に本人の生活歴、病歴の問題、すなわちその業務につくまではなかつた症状がその業務についた後出たこと、第二に同じような症状が同一労働に従事している職場に多発していること、第三に職場を離れることにより症状が軽快したり、若しくは治つたりし、職場へ戻るとまた再発したり病気が重くなつたりすること、以上三つが必要十分条件と考えるのが相当であり、本件では第一、三の条件は(五)で述べたとおり要件を満たしており、伊藤製油で同じ前処理作業に従事している従業員七名全員が腰痛を訴えていることからして右第二の要件を満たしている。

(八) 結論

以上のことから原告の腰痛は業務上の疾病であることは明らかである。

また、昭和五一年一〇月一六日付「業務上腰痛の認定基準について」と題する労働省労働基準局長の都道府県労働基準局長に対する通達によると、災害性の原因によらない腰痛について、腰部に過度の負担のかかる業務として、(イ)おおむね二〇キログラム程度以上の重量物または軽重不同の物を繰り返し中腰で取り扱う業務(ハ)長時間に渡つて腰部の伸展を行うことのできない同一作業姿勢を持続して行なう業務等をあげ、その腰痛の発症の機序として主として筋筋膜、じん帯等の軟部組織の労作の不均衡による疲労現象から起るものと考えられるとしている。また、同通達は、業務上外の認定に当つての一般的な留意事項につき、腰痛を起す負傷または疾病は、多種多様で、腰痛の業務上外の認定に当つては、傷病名にとらわれることなく症状の内容及び経過、負傷または作用した力の程度、作業状態(取扱い重量物の形状、重量、作業姿勢、持続時間、回数等)、当該労働者の身体的条件(性別、年令、体格等)、素因又は基礎疾患、作業従事歴、期間等認定上の客観的な条件のは握に努めるとともに、必要な場合は専門医の意見を聴く等の方法により認定の適正をはかることと述べている。原告の従事した前処理作業は、右通達のいう「腰部に負担のかかる業務」であることは明白であり、本件処分は、「変形性脊椎症」という病名にこだわつており、本件処分はこの点で右通達にも反している。

よつて、原告の腰痛を業務外と認定した本件処分は違法である。

4  また、被告審査会は、本件裁決の審査が労働者災害補償保険法の規定に基づく労働疾病による保険給付の可否という重大な問題の審査であるにもかかわらず、現場検証はもとより再審査請求人である原告からの事情聴取さえもすることなく、単なる書面審理のみで裁決を行つており、このような審査は手続上の違法があるというべきである。

よつて、原告は本件処分及び本件裁決の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1・2の各事実は認める。

2  同3・4の各事実は争う。

三  被告監督署長の主張

1  原告の腰痛は労働基準法施行規則三五条各号(特に三八号)に当たる場合ではなく、前処理作業との間に因果関係を認めることができないものであるから本件処分は適法である。

2  原告の腰痛の病名

原告の症状は、愁訴または自覚症状として腰部の疼痛と下肢への放散痛があり、他覚的所見としては、腰椎前弯や減退、腰部前屈制限、腰椎部両側筋群に異常緊張、腱反射減退、ラセグ氏症候右八〇度陽性左弱陽性等があり、雨ふりなど湿度の高い日には腰の鈍痛、左大腿背部のひきつりが感じられ、動作をするときに痛むというのであるが、これらの症状は変形性脊椎症における疼痛の発生機序及び臨床症状と矛盾がなく、また、原告の疾病に対する診断名の左坐骨神経痛、腰部椎間板症及び腰筋痛の臨床症状も変形性脊椎症のそれと共通するものである。従つて、原告の腰痛は変形性脊椎症に起因して生じたものというべきである。

3  原告の主張する過労性腰痛に対する反論

原告主張の過労性腰痛なるものは、結局、単に過労が原因して発生する慢性的な腰痛であるというのみであつて、その発症の機序及び症状経過については他の疾病から区別してかかる疾病の存在を認めるべき何らの特徴もなく、また、現代の医学上もそのような疾病の存在は認められていない。

原告は、過労性腰痛とは、過労が原因して発生する慢性的な腰痛であり、過労といつても単なる腰を多く使うというのみならず、神経疲労、脳疲労を含む全身の疲労を原因とする、と主張しているが、仮にそうだとしても、原告において右のような疲労があつたとする医学的根拠は全くない。

4  前処理作業

そもそも前処理作業は、重量物を取扱うとはいつても、原料袋を肩にかつぐとか、手で持ち上げる内容の仕事ではなく、積み上げられた原料袋を引きずり下ろして開袋するという単純な作業であつて特に力仕事というほどの作業でもなく、また常に中腰の姿勢で行う作業でもない。

また、前処理作業を伊藤製油の直営として行なつていた頃の一日の一人平均処理量は九・三トンであり、原料袋の重量を仮りに一袋約六五キログラムのものとした場合一日の一人平均処理袋数は約一四三袋となり、一袋の処理時間が一分半ないし二分であるから一四三袋を処理するために要する時間は三時間三五分ないし四時間四六分となる。ところで、前処理作業の作業時間は昭和四五年二月頃まで午前八時の始業から午後四時の終業までの間で、朝の準備時間、午前、午後及び昼食時の休憩時間、終業時前の整理時間を除いた実質的な前処理時間は六時間一〇分であつたから、これから三時間三五分ないし四時間四六分を差引くと二時間三五分ないし、一時間二四分となり、この時間は実質的前処理時間である六時間一〇分中における余裕時間であり、このことから前処理作業はかなり時間的余裕をもつて作業が行なわれていたといえる。

5  業務起因性について

(一) 原告が伊藤製油で従事していた前処理作業は前記のとおり特に力仕事というほどの作業でもなく、また常に中腰の姿勢で行う作業でもない。

原告の腰痛の原因たる変形性脊椎症は繰返される軽微な外傷、炎症等により椎間軟骨の変性、次いで椎体変形をきたすもので消耗性疾患すなわち老人性変化で、一般に四〇歳前後になると脊椎の椎間体組織に全く潜行的に退行性病変が起り年令とともに進行するもので、作業中突然激痛に襲われる等の腰部捻挫などに見られる災害性の疾病ではない。原告が変形性脊椎症と診断されたときは四五歳であり、すでに潜行的に病変がおこつていたとも考えられるため、前処理作業と脊椎の変形とが必らずしも結び付くものではなく、加えて変形性脊椎症と腰痛との因果関係も明らかではない。

伊藤製油の前処理作業には原告の外六名の従業員と少数の下請業者の作業員が従事していたが、原告以外に加療休業の事実はなく、昭和四六年二月以降は前処理作業は下請業者に下請けさせているが、下請業者の作業員は一日一人平均二二・三トンと原告の従事していた頃の作業量の約二倍強の量を処理しているが、腰痛その他の身体的故障を訴えているものはない。

以上の理由から原告の腰痛に業務起因性を認めることはできない。

(二) ところで、原告は業務起因性の判断基準として三つの要件を挙げ、本件では三つの要件をいずれも満たしているから原告の腰痛は業務上の疾病である旨主張するが、一般に人が労働に従事するときは、精神的、肉体的に何らかの影響があることは当然であつて、原告の主張する三つの要件といつた単純な条件設定によつて業務起因性の有無が判断されるべきものではなく、右の三要件は単なる条件関係における一つの目安となるにすぎないものである。

業務起因性の有無の判断にあたつては、単なる条件関係の存在では足りず、当該業務が、一般的な経験則上、当該疾病発症の有力な原因として、その間に相当因果関係が存在することが医学的見地からも十分首肯され得るものであるか否かが検討されなければならないのであり、その結果原告の腰痛は業務上の疾病とは認められないのである。

四  被告審査会の主張

本件裁決は労働保険審査官及び労働保険審査会法にもとづく再審査庁である被告審査会が適法な手続、方式により裁決したものであり何ら違法はない。

原告からの事情聴取については、被告審査会は昭和四七年六月二二日の審理期日に出頭した原告からその意見を聴取しており、現場検証については、労働保険審査官及び労働保険審査会法四六条一項には「審査会は審理を行うため必要な限度において当事者若しくは第三六条の規定により指名された者の申立により又は職権で、次の各号に掲げる処分をすることができる。」とし、その四号に立入検査処分を規定しているところ、本件においては原告からの申立はなく、また、被告審査会が職権で行う場合も、審理を行うに必要な限度で立入検査処分を行うことができるのであつて、これを行うか否かは被告審査会の自由心証に基づく裁量に委ねられているのであり、本件裁決の審理に当つては、既に十分な資料があつたので右処分を行う必要がなかつたものである。

従つて、本件裁決には何ら違法の点はない。

第三証拠 <略>

理由

第一本件処分及び本件裁決の経緯

請求原因1・2の事実は当事者間に争いがない。

第二被告監督署長に対する請求について

一  まず、原告の腰痛の医学的原因につき判断する。

<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

原告は昭和三六年九月頃から同四一年九月頃まで前処理作業に従事し、さらに同四三年一〇月頃から再び右作業に従事していたところ、同四四年五月頃より腰の痛みを感じるようになり、同四四年六月一六日国立津病院神経科中堀正医師に受診し、左坐骨神経痛の病名で七月一三日まで計四週間服薬休業し、その後同年一一月一〇日日比弘医師から急性咽頭気管支炎、腰筋痛の診断をうけ一週間休業し、同四五年二月一〇日右中堀正医師から左腕神経痛の診断を受け二週間休業、同月一七日築港病院鈴木尚温医師より変形性脊椎症の診断を受け、同月二三日からは、国立津病院の整形外科の森玄[イ全]医師より変形性脊椎症、多発性関節ロイマチス、慢性胃炎により向う三〇日間の通院及び休業加療を要すとの診断書を得、その後ほぼ同趣旨の診断の更新を繰り返し、同年七月二九日症状軽快し、出勤可能、軽労働適の診断を受けるまで休業した。そして同年一二月一日三重県立大学医学部附属塩浜病院整形外科畑中生稔医師の診察を受けたところ、原告の愁訴または自覚症状は腰部の疼痛と下肢への放散痛であり、他覚的所見としては腰椎前弯がやや減退して、腰部前屈に制限があり、腰椎部両側の筋群に異常緊張が認められ、腱反射減退、ラセグ氏症候右八〇度陽性左弱陽性を示しており、レントゲン所見及び血液学的検査所見として腰部移行椎を認め、中等度の変形性所見が存在し、血清中のカルシウムは正常より低値を示しており、その結果、腰部椎間板症、変形性脊椎症、腰筋痛の診断を受け、その後、原告が伊藤製油を解雇された同四六年八月後の同年九月二〇日当時も雨ふりなど湿度の高い日には腰の鈍痛、左大腿背部のひきつりが感じられ、動作を起こす時はいたんだものの、原告の腰痛は二、三年後には完治した。

以上の事実が認められ、なお、原告本人尋問の結果中に、原告は前処理班に従事するようになつた昭和三八年より同三九年初め頃の間腰に重苦しい筋をひつぱつたような痛みを感じており、その後、前処理班をはなれて右痛みが軽快したものの、再び前処理班に従事するようになつた昭和四三年八月頃に右腰痛が再び悪化したと供述しているが、<証拠略>により認められる、原告は昭和四四年六月一六日国立津病院で受診するまで医師の診察を受けていないこと、右供述の内容は原告の昭和四六年九月二〇日の三重県労働者災害補償保険審査官に対する事情聴取において全くみられず、本件訴訟になつて初めてなされたものであること、原告が前処理作業に従事していた昭和四一年三月、同四四年一月当時の希望職場調査でも原告の腰痛についてはふれてないことの各事実に照らすと前記供述はにわかに措信できず、他に前記認定を覆えすに足りる証拠はない。

ところで、<証拠略>によれば、変形性脊椎症とは、年令的な変性及び外傷等により椎間板に変性が起こり(椎間板変性症、あるいは腰部椎間板症と呼ぶことがある)その変性の影響をうけて、椎体縁の前方や側方に棘状の骨を生じることがあり、そのような骨棘形成を主とする脊椎の変化に伴う症状を変形性脊椎症と呼び、一種の加令現象と考えられ、主な症状として、朝起きたときは痛むものの日中はしだいに楽になり、下肢への放散する痛みを感ずることもあり、腰椎の自然な曲線は失われ、両わきの筋肉はかたく緊張するという症状があるが、骨棘形成が腰痛とどのように関係するのかについては種々議論があり、両者の関係を疑問視する者もいることが認められる。

そして、被告監督署長は、原告の腰痛は変形性脊椎症のみによるものであると主張し、前記認定のとおりレントゲン写真では骨棘形成が認められ、原告を診察した医師の中には変形性脊椎症の診断を下している者もあるが、変形性脊椎症の脊椎の変性と腰痛との関係については右のように種々議論があり、畑中生稔、伊藤友正及び芹沢憲一の各証人も脊椎の変形そのものと腰痛の関係につき否定的な証言をしていることから考えると、本件において原告の腰痛が変形性脊椎症のみによるものであると一概に断定することはできず、従つて原告の腰痛の病名としては、診察の時期はやや遅れているものの、詳しい診察をなした畑中生稔医師の診断名である腰部椎間板症、変形性脊椎症、腰筋痛と考えるのが相当である。

ところで、原告は、原告の腰痛は神経疲労、脳疲労を含む全身の疲労を原因とする過労性腰痛である旨主張するが、過労性腰痛の病理的解明が充分でないことは原告の自認するところであるが、その点は暫くおくとして、前処理作業の実態は後記認定のとおりであつて、全く危険を伴わないとはいい得ないにしても、格別の危険又は困難を伴うものとは到底認められず、また前示のとおり前処理作業は原告において長年従事して再度これに従事するようになつたときは習熟した作業であつたものであり、これにより、原告が過度の神経疲労、脳疲労に陥つたとは考え難く、証人芹沢憲一の原告の腰痛が過労性腰痛である旨の供述はたやすく信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

二  そこで、原告の本件腰痛が業務上の疾病といえるか否かについて判断することにする。

まず、原告の腰痛が労働基準法施行規則三五条一号ないし三七号に該当しないことは明らかである。

そこで、同条三八号に該当するか否かについて検討するに、同規定は、労働基準法七五条一、二項に基づき設けられた規定であり、労働基準法施行規則三五条一号ないし三七号に定める疾病は何れも業務上に起因することが定型的に認められるものであるが、本来業務に起因する疾病は多様であり一号から三七号に含まれないものも存するために右三八号が設けられる必要があつたと考えられることからすれば、三八号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」とは業務遂行との間に相当因果関係の存することが証明された疾病と解するのが相当である。

ところで、変形性脊椎症については脊椎の変形は加令現象の一つであり、腰部椎間板症については変形性脊椎症の前段階において加令化によりおこることがあることは前記のとおりであり、腰筋痛についてはその原因が必ずしも明らかでない。しかし、以上のことから直ちに原告の腰痛と業務遂行との間に相当因果関係が存しないと断ずることは相当ではなく、業務内容、業務従事期間等の点においてそれが日常動作に比してより過重な腰部の運動、過重の負荷が加わるものであり、なお、同種業務に従事した労働者間にも病的な腰痛が見られるものであるならば、このような場合における腰痛は業務との間に相当因果関係があると認めるのが相当である。

そこで以下原告の従事した前処理作業の内容、期間及び環境について検討することにする。

<証拠略>によれば次の各事実が認められる。

1  原告は、昭和三六年四月に伊藤製油に入社し、同年九月から前処理班に配属され、同四一年九月二〇日に汽缶班勤務となり、同四三年八月に再び前処理班に配属され、同四五年三月に工務班に配転、同四六年二月ロート油班に配転され、同年八月に解雇された。そして、原告が同四一年九月頃から同四三年八月まで従事していた汽缶班の職務内容は、ボイラーの計器操作を主とする机上勤務、計器盤の監視といつた軽作業であり、また、原告は大正一四年五月二一日生まれで、昭和四四、四五年当時四三、四才であつた。

2  原告の従事していた前処理作業とは、原料倉庫に積まれている製油原料のヒマシ種子の入つた袋(一〇〇キログラムの袋と六五キログラムの袋の二種類)を手かぎ等を使つて床に設けてあるピツト(前処理作業場の奥から出入口に向つて床に設けてある細長い溝)の近くまで引きずつて行き、ナイフで開袋し、ピツトを走るベルトコンベアー(なお昭和四一年六月まではスクリユーコンベアーであつた)にヒマシ種子を放出する作業であるが、その作業をより詳しく説明すると、原告が前処理作業に従事していた伊藤製油の原料倉庫は、ピツトを間にしその両側に原料袋が積まれ、積み上げられた原料袋の最高部でピツトに面した最前列に積まれている原料袋については、その閉口部分の縫糸をナイフで切断すると原料袋が開口し中に入つているヒマシ種子が自然に、あるいは袋の後部を持ち上げることにより流出して下のピツトに落下し、次に、先に処理した原料袋の後部に積まれている原料袋をピツトに面した位置にくるようにノンコ(約一〇センチメートルの長さの棒状の木の先端に鈎をとりつけたもの)と手かぎを使つて引きずりおろし、前述の方法で開袋する。以後順次同様な方法で作業を反復継続するわけであるが、作業が進むと当初直方体に積まれていた原料袋は、ちようどひな壇のような形状になり、原料袋をピツトに面した最前列の位置まで持つてくるにはひな壇状になつた原料袋の上部に積まれている原料袋をひな壇面を滑らすようにして引きずりおろすという方法をとる。作業は積み上げられた原料袋をひな壇の形状に保ちつつ進行させ、作業が進行してひな壇の傾斜角度がなくなり平面になつた状態が最低部になると二人一組になり原料袋の前部を手かぎでひつかけ、原料袋の閉口部分がピツトの上にかぶさる程度になる位置まで引つぱつてきて開袋するというものであり、原料袋をひつぱり開袋するまでの所要時間は一袋につき約一分半ないし二分位である。

3  昭和三六年四月から同四一年九月頃までは昼夜二交代制で昼勤四人、夜勤四人の計八名が前処理作業に従事し、その後は昼勤のみになり、昭和四三年以降同四六年一月までは一〇名位のグループで右作業をしていた。伊藤製油の所定労働時間は午前八時から午後四時までだが、前処理作業の実作業時間割は現場で自主的に定められ、同四五年二月頃までは始業時である午前八時から約一五分間を準備期間、終業直前の約二〇分間を整理時間とし、休憩としては午前一一時三〇分から午後〇時一五分までの昼の休憩のほかに午前、午後に各一回一五分と定めていたが、同年三月からは、準備時間と整理時間を各約三〇分にのばし、休憩時間についても昼は六〇分、午前、午後の休憩を各三〇分と延長し、実作業時間は従来の六時間一〇分が五時間に短縮された。

4  昭和四六年一月末までは、伊藤製油直営の製造課原料前処理班として、完全月給制による従業員六、七名及び少数の下請労働者を右作業に従事させていたが、同年二月一日以降は全面的に杉本組に下請させ、四、五名が従事し、賃金についても出来高給に改められた。

また、一日当たりの全処理数量は、八五トンないし九〇トン(六五キログラム袋なら一三〇〇袋ないし一四〇〇袋、一〇〇キログラム袋なら八五〇袋ないし九〇〇袋)で、直営の時には平均九・一人従事していたので一人当たり九・三一トン、下請となつてからは、それを平均四・三人で処理しており一人当たり二二・二三トンを扱うようになつている(そうすると一〇〇キログラム袋なら直営時には九三袋前後扱つていたものが下請になつてからは二二二袋前後を扱う計算になる)。

5  昭和四五年一二月一日当時前処理班に属していた伊藤製油従業員は、原告以外に六名いて、全員が同日三重県立大学医学部附属塩浜病院整形外科畑中生稔医師の診察を受けた。その結果、そのうちの小林博次は腰痛症、佐藤正明は腰筋痛、変形性脊椎症、小林定治、槙田正吉は変形性脊椎症、骨粗鬆症、腰部椎間板症、腰筋痛、渡辺秀広、大平隆は変形性脊椎症、腰部椎間板症、腰筋痛の診断を受けたが、その際治療はうけておらず、右六名はいずれも腰痛その他変形性脊椎症によるとみられる欠勤は一回もなく、また、同年一一月二七、八日頃築港病院でこれら六名が受診した際、特に異常は認められなかつた。また、下請の杉本組の従業員の中で腰痛を訴える者は一人も出ていない。

以上の各事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上の事実をもとに、原告の従事していた前処理作業と原告の腰痛との因果関係につき検討することにする。

前処理作業は、原料袋を引つぱつたり、引きずつたりあるいは開袋した袋を持ち上げてヒマシ種子をピツトにあける際に腰に負担をかけることはあるが、常に中腰で作業を行うわけではなく、また、原料袋の重量は一〇〇キログラムと六五キログラムの二種類あり、<証拠略>により認められる原告主張の昭和四五年七月一〇付労働省労働基準局長の通達による腰痛を予防するための最大重量五五キログラムを超過しているが、本件前処理作業では原料袋を肩にかつぐとか持ち上げるとかすることはなく、単に引つぱつたり、ヒマシ種子をピツトにあける際袋の後部を持ち上げるとかするものであり、原料袋の重量がそのまま腰にかかるというわけではないから単純に重量のみを比較して直ちに右通達に違反するということはできない。

また、原告が前処理作業に従事していた期間は昭和三六年九月から同四一年九月までの五年間及び同四三年八月から同四五年三月までの約二年間であるが、その間同四一年九月から同四三年八月までの二年間の汽缶班の仕事は軽作業で腰に負担をかけない作業であり、二度目に前処理作業に従事した同四三年八月から腰痛発症の同四四年五月まで原告は約九ヶ月間右作業に従事していたにすぎない。

さらに原告と共に前処理作業に従事していた六名の伊藤製油の従業員は畑中生稔医師により変形性脊椎症、腰部椎間板症等の診断を受けているが、他方築港病院での診察では何ら異常がなく、腰痛のため休養あるいは治療をしたこともないこと及び前処理作業を杉本組に下請に出した後杉本組の従業員の中で腰痛により休業あるいは治療を受けた者はいないことからすれば、原告以外の前処理作業に従事した者の中には病的な腰痛を患つている者はいないと考えるのが相当である。

以上の事情を総合すると、原告の腰痛と本件前処理作業の間に未だ相当因果関係があるとは認めることはできず、他に右因果関係を推認させる証拠もない。

なお、原告は業務起因性を認めるのに三つの要件を上げているが、前述のとおり腰痛が前処理班に多発しているということはなく、原告主張の三要件のうち本件においては第二の要件が欠けており、右三要件による業務起因性を判断するとしても、原告の腰痛を業務上の疾病ということはできない。

以上のとおり、原告の腰痛は業務上の疾病ということはできず、その他の疾病について立証のない本件においては、原告の疾病を業務上の疾病と認めなかつた本件処分は適法というべきであり、従つて、原告の腰痛は業務上の疾病であり本件処分は違法であるとの原告の主張は採用できない。

第三被告審査会に対する請求について

原告の主張する原告から事情聴取をしなかつたとの点については、<証拠略>によれば、被告審査会は昭和四七年六月二二日に原告から事情聴取を行つている事実が認められる。

また、立入検査の点については、労働保険審査官及び労働保険審査会法四六条一項には「審査会は審査を行うため必要な限度において申立又は職権で、次の各号に掲げる処分をすることができる。」とし、その四号に立入検査処分を規定しているところ、本件においては弁論の全趣旨によれば原告から立入検査の申立はなかつたことが認められ、また、右規定によれば審査会は職権でも立入検査処分ができることになるが、審査会が右処分を行うか否かは審査会の裁量によるものであり、本件裁決にあたり職権により立入検査処分をしなかつたからといつて、本件裁決の審理に手続上の違法があるとはいえない。

従つて、本件裁決が違法であるとの原告の主張は採用できない。

第四結論

以上のとおり、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担の点につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 豊島利夫 川原誠 徳永幸蔵)

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